私の工房での一日は、革に触れるよりも先に、道具を研ぐところから始まります。
革包丁、錐、針。
製作に使うすべての刃物を、その日の仕事に合わせて研ぎ直していく。
これは儀式のようなものではなく、純粋に必要な作業です。
研ぎが甘い道具では、革を綺麗に切ることができないし、糸を通すための穴も整いません。
道具の状態が、そのまま作品の完成度に直結する。
だから一番手を抜くことができない工程です。
研ぎを学び始めたきっかけは、錐の大切さに気づいたことでした。
手縫いを本格的に始めた頃、私はまず、自分の道具に納得できなくなりました。
市販の状態のままでは、求める精度に届かない。
研ぎ直そうにも、自己流ではうまくいかない。
そこで地元・弘前の鍛冶屋を一軒ずつ訪ねて回りました。
教えてもらえる場所が見つかるまで、何件も足を運びました。
ようやくたどり着いた鍛冶屋さんで、二時間ほど研ぎの基本を教わりました。
その時間が、私のものづくりの土台になっています。
革包丁については、もう少し複雑な道のりがありました。
最初は、革職人の研ぎ方を参考にしていました。
けれど、どうしても自分の理想に届かない。
そこで業種を変えて、鍛冶屋や研ぎ師の仕事を見るようになりました。
それでも満足できず、最終的に行き着いたのは木を扱う伝統工芸士や、宮大工の方々の研ぎでした。
革と木では、扱う素材も道具もまったく違います。
けれど、刃物を研ぐという行為の本質は同じです。
彼らの研ぎを見ているうちに、刃物への理解が一段深まりました。
砥石へのこだわりも、この頃から強くなりました。
今では、その時に学ばせていただいた職人さんたちと交流があります。
革工芸という枠にとらわれず、業種を超えて学びを求めてきたことが、私の財産になっています。
道具は、私にとって相棒のような存在です。
錐だけでも50本ほど持っていて、その日の感覚に合わせて使い分けます。
「今日はこの一本が合うな」という感覚が、不思議とあるのです。
同じ作業でも、日によって手の角度や力の入り方が違うから、それに応える道具を選ぶ必要があります。
道具の手入れは、職人の心を整える行為でもあると思っています。
丁寧に扱われた道具からは、丁寧な作品が生まれる。
私は、そう信じてものづくりを続けています。
自分の扱う道具にも神様が宿っていると思っています。






